<neuerlich Abreise:ノイアーリヒ アップライゼ(新たな旅立ち)>

TOP×TOPから二ヶ月が過ぎた頃

961プロダクション所属四条 貴音の元プロデューサーは苛烈極まる莫大な量の仕事に翻弄されていた。

TOP×TOPにて765との勝負に負けたと言うレッテルを貼られ、送られたこの部署はそのレッテルに相応しい仕事量だった。

ただただ送られてくるファンレターや各部署宛の手紙、苦情や宅急便に至るまで社内全ての郵送物を各部署に配達する。

それは想像以上に過酷で集中してこなさなければ時間内に終わる事すら出来なかった。

そんな毎日に終われながらも元プロデューサーの頭の中はただ一つだった。

もう一度プロデューサーに戻る

その一つだけだった。

しかしながら、かつてこの部署に回されて戻った者も居なければ3ヶ月もった者も居ないのは社内でも有名な話しだった。

「えーっと、これは7階で。後、これはあそこか…。これはと…これは、ここか。よし!」
郵便物を専用の台車に入れ分けて出発する。

各階を上から順に降りてきて最後に自分の所属階に到着して最後の一段落を片付ける。

そしてまた午後になると届く物を同じ様に振り分けていくを繰り返す日々だった。

今日も自分のデスクに戻ってきたのは早い夜が始まろうとしている空が薄暗い頃だった。

「あぁー、終わったー…」
どっかと自分のデスクの椅子に腰を下ろして天井を見上げる。

「はぁ、こんなんで大丈夫かな…」
ぼんやりと天井を見つめながら思う今後は実に不安だった。

再びプロデューサーになると言う目標を掲げたものの、この部署はアイドル達との交流は全くと言って良い程無い。

それに加え良くない噂を耳にしていた。

四条 貴音の調子がいまいち良くない。

TOP×TOPでの敗退以来、貴音は負けこそ無いまでも以前の様にオーディションで圧勝する事も無いのだった。

銀色の王女に黒星をつけたプロデューサーとしての自分が重く圧し掛かる。

背もたれを滑り落ち浅く腰掛けて深く溜息を吐いた。

「はぁー…。まぁ…考えても仕方ないよな、僕がどうこう出来る事じゃないし…。さて、帰るかな…ん?」
勢い良く立ち上がって帰り支度をしようとデスクを見ると一つの緑色の封筒が置かれていた。

宛名には大きく自分の名前が書かれている。

「僕宛?誰だろう?」
糊で留められた部分をレターオープナーで綺麗に開けるとニ枚の便箋が入っていた。

便箋を広げると軽快な筆調で短く文字が綴られていた。

前略
突然このようなお手紙を差し上げる非礼をお許し下さい。

折り入ってお話ししたい事がございます。
スケジュールのご調整が可能でしたら四条 貴音様とご一緒に
今週の土曜日、別紙の店舗までお越し頂けませんか?

お忙しい中、貴重なお時間を頂き有難うございました。
当日お待ちしております。

                        平成××年 〇月 △日
〇〇様
                        我那覇 響担当プロデューサー ××        

その下に書かれていた地図と住所を確認する前に元プロデューサーはその手紙を胸の内ポケットにしまった。

背中を冷たい汗が滑っていく。

視線だけを巡らせ辺りを見回す。

既に元プロデューサー以外は残っていなかった。

ほっと安堵しつつもドクドクと脈打つ心臓を押さえて落ち着く為に一つ深呼吸をする。

(何で765プロのプロデューサーが僕を呼び出すんだ…話しって何だ…?)
落ち着いた途端に止まり掛けていた思考が巡り始める。

しかし、幾ら考えを巡らせた所で答えは出る筈も無かった…。

(あの時もそうだったけど、何を考えてるのか解らない人だったからな…)
TOP×TOPでの出来事が思い出される。

(考えても始まらないな…)
765プロのプロデューサーからの手紙。

そんなものこの会社の中で誰にも相談など出来なかった。

765プロとの繋がりがあると言うだけで今度こそクビは免れない。

内ポケットにしまった手紙をもう一度広げ、今度は地図を確認する。

「行ってみるか…」
今度は便箋を丁寧に畳んで内ポケットにしまうと、プロデューサーは部署を後にした。


別の日

「ふぅ…」
もうこれで何回目になるだろう。

数え切れなくなった溜息が口から漏れ見えない息が細く流れていく。

TOP×TOP以来、出る様になった溜息が再び貴音の口元から漏れる。

プロデューサーが貴音の担当から外れ、新しいプロデューサーと貴音は活動を再開する事になった。

だが、以前の様に楽しいと感じる事や嬉しいと思う事は皆無だった。

今のプロデューサーとは生理的に合わないと言うのが最も適切に思われた。

オーディションに行けば貴音に負けた相手を「努力しないからだ」と精神論で貶し

事務所に戻れば同じ様に961所属のアイドル達を貶す。

自分の指導の賜物だと吹いて回る。

こう言った見苦しい行動を見る度に知らずと溜息が漏れてしまう。

その都度前任のプロデューサーの事を思うとまた一つ…。

そして、もう一つの原因は我那覇 響の電撃引退だった。

自分を打ち負かし、好敵手と定めた765プロ所属のアイドル我那覇 響。

その彼女が電撃的な引退表明をし、ライブを行いさっさと引退してしまったのだった。

貴音は目下の目標を失ってしまい、新たな目標を探さなければならなかった。

そんな事をしている内に日は暮れてしまうのだった。

「貴音、来週のスケジュールなんだが−」

「分かっております」

「あのな…俺は君の為にこうしてスケジュールを組んでいるんだぞ?」

「分かっております…」

「だから少しは感謝して欲しいな。君は俺の為に頑張って貰わないと困−」

「分かっております!」
朝礼からオーディション、オーディションから終礼そして終礼が終わるとこの様に恩着せがましいやりとりへと繋がっていく。

そしてその日々重なっていく苛立ちが貴音の知らない内に不調の原因となっていたのだった。

貴音は振り向きもせず事務所を後にすると自宅に戻ると直ぐにシャワーを浴びる。

長く湯に浸かり一日の疲れを解す。

そして一杯の紅茶を飲んで眠るのが常だったのだが最近はそれすらもストレスの所為かままならなかった。

シャワーから上がり貴音は紅茶の準備をする。

短く蒸らすして注ぐとアールグレイの爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。

この紅茶は貴音が前任プロデューサーと初めて帰った日に買ったものだった。

あの時の嬉しさが蘇る様な気がしてここの所、毎日これを淹れてるのだった。

ベランダに出ると淹れたての紅茶がより一層白い湯気を上げる。

一口啜ると独特の香りと共に微かな苦味が舌を滑っていく。

低い空を見上げると三日月が薄ぼんやりと輝いていた。

(あの方も、この月をご覧になっていらっしゃるのかしら…)
毎日を共に過ごしていたのに、あの日を境に会う機会すらも無くなってしまった前任プロデューサー。

浅い夢に何時も出てくるプロデューサー。

出なければ、見なければと思う日もある。

その次の朝が辛くなってしまうから…

貴音が最後の一口を飲み干す頃には午前2時を回っていた。

今日最後の溜息を吐いて、部屋に戻ると携帯電話が単調な電子音を鳴らしていた。

「この様な時間に…」
半ば呆れ気味に携帯電話を開いてメールを確認して貴音は驚いた。

メールの送信者は前任プロデューサーだった。

メールの内容は簡潔なものだった。

深夜のメールに対する謝辞の後、今度会えないだろうか?

と言う物だった。

急なメールに驚きを隠せなかったが、貴音の答えは既に決まっていた。

「お承り致します」
そう返信を返してパタリと両手を合わせる様にして携帯電話を閉じる。

「クスッ」
何故だか笑みが零れてしまった。

こんなに嬉しい気分になるのは久しかった。

肝心の用件こそ聞きそびれてしまったがどんな用件であれ数ヶ月振りに彼と会える。

ただそれだけなのに

ただそれだけで嬉しかった。

ベッドに潜り込むと久しく感じる事のなかった心地よい睡魔が襲ってきた。

「クスッ、お休みなさい」
そう、来る日の彼にお休みの声を掛け貴音は静かに瞼を閉じた。


我那覇 響のプロデューサーに指定された土曜

貴音の元プロデューサーは指定された時間に地図に記載されていたオープンテラス付きのカフェに到着していた。

ブレンドコーヒーを注文してテラス席に腰掛け煙草に火を点ける。

まだ予定の時間には30分程余裕があった。

いざこんな形で会うとなると何故だか不思議な感覚だった。

961プロの面接を受けた時と同じ様な緊張をドクドクと脈打つ心臓が伝えてくる。

微かに震える手で煙草を消すと続けざまに次の煙草に火を点ける。

その時

「おや?」
と背中の方から微かに聞き覚えのある声がした。

慌てて煙草を揉み消し振り返ると見覚えのある銀縁メガネがこちらを覗いていた。

「どうやらお待たせしてしまったみたいで、申し訳ない」
そう言うと彼は頭を下げた。

「いえ!こちらこそ、早く来すぎてしまったみたいで…」

「では、こちらではなんですから奥の方へ。お飲み物は、新しく?」
元プロデューサーは最後の質問に首を横に振るとトレイを持って促されるまま奥の個室へと足を踏み入れた。

「こちらは765プロの子会社の経営するカフェでして、主に商談をする場合に利用するんですよ」
彼はそう言いながら自分用のコーヒーを店員に手渡されると扉をパタンと閉じた。

人で賑わっていたカフェの喧騒が途端に遮断される。

「一応、防音なのでご安心を」
そう言って彼は薄く微笑んだ。

「はぁ…」
思ったよりも豪勢な作りの個室は何処と無く961プロの社長室に似ていた。

黒を基調にした作りに豪華なソファー、外のカフェからは思いも付かない程全く別の部屋だった。

もう少し煌びやかな色使いや調度品を揃えればキャバクラのVIPルームさながらの作りだった。

彼が元プロデューサーの前に腰を掛けるとソファーがゆっくりと沈んだ。

「こちらにお通ししたのは他でもありません、他人に聞かれたくない話しをしたかったからです。あ、お煙草はご遠慮なく」
彼はそう言ってニコリと笑うとテーブルに自分の煙草とライターを置いて見せた。

「時に本日は四条 貴音さんはご一緒では?」
その言葉に元プロデューサーは一瞬ギクリとした。

自分が担当から外れているのは彼に伝わり様が無い。

担当でも無い自分がこんな場所にしゃしゃり出てくる事自体おかしいのだった。

ましてや聞かれたくない様な話しをするのなら尚更だった。

「貴音は…その、来ません。実は、僕は貴音の担当から外されてしまって…今は別の部署に居ます」
その言葉を聞いて彼は考える様に視線を上向けるとすぐに元に戻した。

「なるほど、そうでしたか。ではこのまま話しを続けましょう」

「へ?」
非難されると思っていた元プロデューサーは意外な答えに思わず間抜けな声を上げてしまった。

「あ、あの…僕で…いいんですか?」
そう聞き返すと彼は眉根を上げて不思議そうな顔をしていた。

「ん?勿論、貴方をお呼びした訳ですから貴方に聞いて頂くのが筋かと。それに、今ので一つ納得がいきました」
彼は何事も無かった様に話しを続ける。

「寧ろ、貴方に聞いて頂いた方が良さそうだ。では単刀直入に申し上げます」
途中からトーンの変わった彼の声に元プロデューサーはゴクリと固唾を飲み込んだ。

「私は四条 貴音さんを765プロに引き抜きたいと思っております」
そう堂々と言い放った彼の言葉にドクッと心臓が大きく脈打つ。

背中に冷たい汗が伝って、誰も居ないはずの部屋を思わず見渡してしまった。

「貴音を…」

「えぇ」
見ればさっきまでの柔らかい表情とは打って変わってTOP×TOPの時に見せた鋭い眼差しがこちらを捉えていた。

「と言うのも少し前になりますが私の担当していた我那覇 響が引退したのはご存知でしょうか?」

「はい…一応テレビで確認してます」

「響は引退しましたが今、新しくトリオのユニットを組もうと考えております」

「トリオですか…」

「はい、ボーカル・ダンス・ビジュアル。どれを取ってもトップクラスのアイドルだけを集めたいのです。我那覇 響、同じく弊社から星井 美希」
その二人は元プロデューサーの知る限りでは最近どちらもAランクにして引退した二人だった。

そしてどちらも間違いなく貴音のライバルの二人だった。

若干デビュー時期に差異があったのが幸いしてこれまでに1度しか相見える事は無かったがぶつかっていたらこれ程厳しい相手は居なかった。

「響のダンス、美希のビジュアル。そして−」

「貴音のボーカル…ですか」

「その通りです」
彼の言うプロジェクトは誰がどう見ても魅力的なプランだった。

Aランクのアイドルが丸々三人集まり、それぞれの得意分野でお互いをカバーするのである。

これ程の理想的なトリオは見つけようとして見つかる物ではなかった。

仮にその様な人材が居たとしてもデビュー時期や諸々の事情でトリオを組めない事は多々あるのだ。

そんな夢の様なユニットを彼は組もうと言うのだった。

そんなプランが飛び出す彼が少し羨ましくもあった。

自分が今必死になってやっている事はなんだろうか?

毎日、宛名を確認してそれを届ける。

おおよそアイドルを華々しくプロデュースする表の人間とはかけ離れた裏方の裏方だ。

「お話しは解りました。ですが、それは直接貴音に会ってお話しをして下さい」
元プロデューサーが溜息混じりにそう言うと彼は表情を変えずに訊ねた。

「と言いますと?」

「僕はもう彼女の担当プロデューサーじゃありません。とても素敵なプランだとは思いますが、僕がとやかく言って貴音を納得させる問題じゃない」
元プロデューサーは小さく溜息を吐いた。

「僕を頼るのは…お門違いです」
その言葉を吐いて少し心が痛んだ。

今の自分がしている事は羨ましい事をしようとしている彼に対する単なる八つ当たりでしかなかったからだった。

「そうですか…」

「えぇ」

「では、お話しの続きをさせて頂いても?」

「は?」
キッパリと八つ当たり気味に断ったと思っていた元プロデューサーは再び間抜けな声を上げてしまった。

「あ、あの…」

「今現在、私が見る限り貴音さんに以前の様な勢いが感じられないのですがご存知で?」
元プロデューサーの言葉を聞いてか聞かいでか彼は話しを続け始めた。

「そ、それはまぁ…知ってますが」

「以前、TOP×TOPでぶつかった時の様な覇気が全く感じられません。よって今の状態の貴音さんならこちらからお断りです」
そうキッパリと彼は言い放った。

「では、貴方にお伺いします」

「…」
何を考えているのか解らない彼を見つめる元プロデューサーに対して彼は視線を合わせニコリと微笑んだ。

「このユニット、一緒にプロデュースして頂けませんか?」

「ど、どう言う意味ですか!?」
驚く元プロデューサーに対して彼の表情は何事も無かった様に平然としていた。

「言葉通りの意味です。貴音さんと一緒に貴方も引き抜きたいと言う事です」

「詳しく聞かせて頂いてもいいですか?」
返事の変わりにコクリと首を縦に振ると彼は再び口を開いた。

「今の貴音さんを無理矢理引き抜いた所で以前の様な活躍は期待出来ないのは明らかです。では、逆に考えて以前の様な活躍は
何故出来なくなったのでしょう?」

「…」
元プロデューサーは黙って彼の言う事に耳を傾けていた。

「貴音さんのポテンシャルを引き出していたのが貴方だからです。このプランは貴方がプロデュースをしていた頃の貴音さんでなければ成功しません」

「ですが、僕には…そんな力は」
彼が静かに首を振る。

「TOP×TOPの時の貴音さんは私と響に取って脅威でした。魔王エンジェルとは比べ物にならない程に…。貴方との信頼関係は貴音さんのあの実力の素になっていたのだと私は思います。と言うのは−」
彼はそこまで言って少し照れ臭そうにはにかんだ。

「ついこの間、私が響に教えられたんですけどね…」

「信頼関係ですか…」
TOP×TOPで話した時もそうだったが捉え所の無い彼の考えには付いていける自信は無かった。

しかし、あの時もそんな思いも付かない発想から勝利をさらわれている。

そう思うと、不思議と説得力がある様な気がした。

「えぇ、貴方が居てくれた方が貴音さんもきっと安心でしょう。それに私も貴方なら貴音さんのメンタル面を考慮せずに済みます。ご一考頂きたい」
あまりに唐突な申し出に思考の及ばなかった元プロデューサーだったがその胸には一つの希望の光が差し込んでいた。

もう一度、貴音と一緒にトップを目指したい。

その夢を叶えられるチャンスが今まさに目の前にあるのだった。

元プロデューサーに断れる理由など何処にも無かった。

「是非、こちらからもお願いします。このお話しは、僕から貴音に伝えておきます」
その言葉を聞いて彼は柔和に微笑んだ。

「ではよろしくお願いします。無茶な事は承知していますので貴音さんのご返答はどちらでもお気になさらずに。いつでもご連絡下さい」
彼はそう言って立ち上がると右手を差し出す。

それにつられる様に元プロデューサーは立ち上がり固く握手を交わした。

その晩

カフェでああ言った物の結局貴音の答えが気になってしまい、無用な考えをあれこれしている内に時刻は午前2時を過ぎていた。

「なんか急に不安になってきたな…僕に貴音を説得出来るんだろうか…」
そんな独り言を呟きながら文言を書いては消しを繰り返す。

結局思いついた文章は深夜に連絡する事を詫びる物と今度会えないだろうか?と言う単純なものだった。

それを携帯で打ち込み、元プロデューサーは貴音のアドレスを宛先に加え送信ボタンを押した。


待ち合わせの当日

貴音はマンションのエントランスを出て静かに夜風を楽しんでいた。

雨の降った夜の独特の湿った冷たい香りが立ち込めていた。

気を緩めると綻んでしまいそうな口元を正しただ静かに彼の待つ場所へと歩みを進めた。

待ち合わせの時間の約10分前に貴音はその場所へと辿り着いた。

ぼんやりと輝く街灯の下に見えた人影を目指す。

「貴音?」
そう声を掛けられ驚くよりも早く懐かしさが込み上げてきた。

久しく聞いていなかった優しい声はあの時から変わらずだった。

「クスッ、良くお解かりで」

「貴音の足音は独特だからね、直ぐ解るよ。まぁ、こんな時間に待ち合わせでもしなければここには誰もこないだろうしね」
彼が指定したのは貴音のマンションからそう遠くない所にある小さな公園だった。

近付くとやっと彼の顔が確認できた。

「お会いしとうございました」

「僕も会いたかったよ」
自分の言った言葉がキザったらしく聞こえたのか言った後で彼は恥ずかしそうに笑った。

「最近、活動の方はどう?」
そんな事を聞いてくる彼に貴音は少し目を伏せて答えた。

「あまり順調とは…」
そう答えると彼は短く「そっか」と呟いた。

「あなた様は?」

「うーん、僕も順調とは…んーでも良い事はあったと言うかこれからと言うか」
貴音の言葉に彼は煮え切らない返事を返す。

「左様でございますか。お一つお伺いしても?」

「ん?なにかな」

「何故不意にかようなメールを?」
貴音は疑問に思っていた。

会いたい一心から即答で返事はしたものの、担当を外れてからこれまで一度も連絡を取っていなかったのに突然メールが届いたので不思議に思っていた。

「あぁ…うん、その事なんだけど。こう…何て言ったら良いのかな」
彼はそうぶつぶつと言いながら考え込んでしまった。

しばらくその光景を楽しんでいた貴音に気付いた彼は結局答えが見つからなかったのか諦めた様に深く溜息を吐いた。

「はぁ…やっぱり僕にはあの人みたいな言葉が思い浮かばないな…考えても仕方ないか」
小さく気合を入れて彼は貴音に視線を合わせた。

「?」

「貴音に聞きたい事があるんだ。いや、お願いに近いかな?」

「どのような事でしょう?」

「うん。…765プロに移籍しないか?」
貴音は耳を疑った。

彼が口にしたのは961プロの社内では口にする事すら危うい765プロの名前だった。

しかもあろう事か765に移籍しないかと言う内容だ。

貴音は反射的に身構えてしまった。

「ごめん、あまりに唐突なのは解ってはいるんだけど…。この間、我那覇 響ちゃんのプロデューサーに会ってきたんだ」
貴音は眉根を上げる。

「我那覇様の?彼女は引退されたはずでは…」
貴音が言うと彼は静かに頷いた。

「これからする話しをどうするかは貴音に任せるよ」
貴音は承諾の代わりに静かに彼と視線を交わして言葉を促した。

「彼、響ちゃんのプロデューサーは響ちゃんの再デビューを考えているんだ。次のユニットはトリオ。構成はダンス、ビジュアル、ボーカルそれぞれの
 トップアイドル…。響ちゃんのダンス、同じ765プロの星井 美希ちゃんのビジュアル…」
その二人は貴音が最も良く知る名前だった。

我那覇 響、星井 美希

貴音は星井 美希を蹴落とす為に961プロに呼ばれ、またその貴音の対抗馬として765プロが立てたのが我那覇 響だった。

そしてこれまで争ってきた3人は何の因果かそのトライアングルを調和に導かれようとしていた。

「そちらに加われと…仰るのですね?」

「うん、それが彼の…響ちゃんのプロデューサーの希望なんだ…」
ちらりと覗きこんだ彼の目は真摯に訴えていた。

しかしこの時、貴音はまだ迷っていた。

貴音には貴音の世界があると教えてくれたのは彼だった。

しかし、何も持っていなかった貴音に今の世界を与えてくれたのはまぎれもなく961プロだった。

おいそれと裏切る事の出来ない現実と自分を認めてくれた彼の理想に葛藤していた。

久々に会えた喜びも束の間、この様な難題が降りかかってきたのである。

何故だか泣き出したい気分だった。

もっと会えた事を普通に喜んで、普通に話しが出来ればと思っていた。

これからもこんな風にたまに会えればと思った。

だが、彼の口から765プロの話しが出てしまった以上、それは叶わぬ夢だった。

他に手立てがない

今引き止めなければ彼は近い内に961プロを去ってしまうだろう。

彼はそう言う人間だ。

貴音は良く知っている。

だからこそ、彼に付いて行こうと思う。

だからこそ、引き止めたいと願ってしまう。

しかし、貴音には彼を引き止める事も出来なかった。

自分の勝敗一つで今、彼がどれだけ辛い目に合わせれているのか知っているから…

呆れる位、無力な自分が悔しかった。

我侭になってしまっている自分が恨めしかった。

「私には…決め兼ねます…」
言った瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。

「一つ…お伺いしたく…」
顔を伏せ滲んだ涙と震える声を堪えて話す貴音に元プロデューサーは声を掛けられずにいた。

「わたくしは…私は…どうすれば…良いのですか?」
貴音の言葉は元プロデューサーとしては辛い質問だった。

貴音の立場を考えれば、無理強いなど出来様もなかった。

「貴音のボーカルが理想だよ、このユニットには…」
そんな曖昧な言葉しか出てこなかった。

けれども、貴音はその言葉を振り払う様に大きく頭を振った。

いつしか再び振り出した雨に貴音の涙が紛れていく。

「違います!違います…そんな事を、お聞きしているのではありません…」
貴音の声が雨音と共に夜の公園に響いた。

「…っ!?」

「あなた様は…どうお思いになるのですか…?」
今の貴音に取って他の誰がどう思おうと知った事ではなかった。

彼が言う事に従おうと思っていた。

他でもない

自分を認め、共に進んで行こうと言ってくれた彼の言葉に

今度は、彼がやれと言った事をやろうと…

「僕は…」
元プロデューサーは一度言い淀んで口を紡いだ。

それから、大きな深呼吸をしてゆっくりと口を開いた。

「僕は、貴音に一緒に来て欲しい。トップアイドルをプロデュースする、そんな僕の夢には…貴音が、必要なんだ」
雨音に混ざって聞こえて来た言葉は、貴音の聞きたいその言葉だった。

雨に濡れた貴音の頬に暖かい雨が一つ、伝っていく。

「うぅ…うぅぅぅぅっ、ぐすっ」
フッと崩れ落ちそうになる貴音を元プロデューサーは慌てて抱き上げた。

「ひぅっ…うく、んぅっ。あり、がとう…ます!わ…た、しはっ…たくしは…あなた様と、ひぅ…共に、参ります…」
元プロデューサーのスーツにすがりつきながらそう答えた貴音はしばらく泣きじゃくっていた。

雨に濡れる事も気にせず涙が止むまでの間、元プロデューサーは貴音の肩を抱いていてくれた。

貴音が落ち着く頃、降っていた雨も止み辺りはすっかり夜も更けていた。

しんと静まり返る中、頬から伝わる元プロデューサーの体温と心音が安心させてくれる。

泣き疲れた所為か、それとも安心の所為か気を抜けば寝てしまいそうだった。

「貴音?」
不意に元プロデューサーの声が降ってくる。

「なんでしょうか?」
彼の胸の居心地の良さから貴音は瞳を閉じたまま穏やかにそう聞き返した。

「また、一緒に…頑張ろうね」
声が照れ臭そうにしているので思わず貴音は笑ってしまった。

「はい、これからもご一緒に」

「うん」

「あなた様と、共に…クシュンッ」
冷たい秋風が雨に濡れた貴音の髪を撫でる。

「大丈夫?雨に濡れたままじゃ風邪ひくな…」

「左様でございますね…っ!?」
言いながら声のする方を見た貴音の頬が熱くなっていく。

感情的になっていて気付かなかったが彼の顔が目の前にあった。

「あ、あのっ…」
一瞬の内に耳の先が熱くなり、ボーっとして思考が覚束なくなる。

「大丈夫?顔が赤いけど…」

「だ、だだ大丈夫です!」
伸びてきた手を避ける様に貴音は元プロデューサーから離れた。

その様子を見てキョトンと首を傾げていた元プロデューサーだったが直ぐに表情を戻した。

「じゃあ、今日はこれくらいで。話は僕の方で纏めておくよ。それじゃ、また…」
途中で言い止めて元プロデューサーは嬉しそうに笑った。

「それじゃ、また追って連絡するね」
元プロデューサーのその言葉に貴音の胸に懐かしさが込み上げて来る。

オーディションの後やスケジュールの決まらない日に何時もプロデューサーが最後に言ってくれていた言葉だった。

貴音も微笑みを返した。

「ご連絡、お待ちしております」


それからニヶ月後

貴音が決意を決め、それを実行するのにさほどの時間は必要なかった。

貴音が元プロデューサーに付き従い、我那覇 響のプロデューサーと顔を合わせると事は面白いほど簡単に進んで行った。

貴音の移籍の意思を受け取った響のプロデューサーは、これを受けるとすぐさま今後の段取りを決めてくれた。

そして、ニ週間後には黒井社長へ貴音、元プロデューサーの引き抜き交渉に入る。

貴音の意思が固まっている事、そして貴音の居なくなった961プロに765プロに対する徹底抗戦の備えが無い事により961社長は彼の申し出を受諾。

また、貴音のユニット名を引き継ぐ事から名目上では765プロと961プロのコラボユニットと言う形で収まった。

段取り通りに事を進めてくれたお陰で貴音のスケジュールに寸分の狂いも無く引退ライブが行われる。

Aランクアイドル 961プロダクション所属 四条 貴音の活動はここに終止符を打つ事と相成った。

それから数週間後、我那覇 響と星井 美希との顔合わせ、調整を終えた貴音は再び業界の扉を開く事となる。

アイドル史上類を見ない、それぞれのAランクアイドルを集めたトップユニット

プロジェクトフェアリーがここに誕生したのだった。

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